秘密兵器の末っ子

我が家には秘密兵器と呼ばれる末の弟がいる。母方の祖父に似て、自由人で昔から好きなことをとことんやり込むような弟だった。

物持ちの良すぎる叔母から貰ったドラえもんの漫画は弟によって、繰り返し読み返され全巻ぼろぼろであった。何度も開いたせいかページが分解されていた。(聞くところによると、私が読んでたものも一通り読んでいたと言う)

その後、A4サイズの紙一枚を切って本にする棒人間漫画が描かれ(棒人間しか出てこず、最後に主人公が必ず天に召される)引き出しから溢れるほどになっていた。

ホームアローンにはまった時は、留守番の際に紙や紐で工作した仕掛けを作って、母を待っていたが、玄関の天井に吊るした仕掛けの粘着が母が帰宅するまで耐えられそうなく、母に早く帰ってきて!と電話し、一体何事かと母を驚かせた。(玄関を開けるとともに母は事態の全貌を理解した)

そんな弟は今、Twitterで1日に2回(朝晩)に絵を投稿しており、サブスクを開設し、三兄弟の誰よりも早く親の扶養から外れ、独立を果たした。その投稿ももうすぐ一年になると言う。

私には日課というものがほとんどない。弟にえらいなーというと、日課だからと答えられた。2ヶ月続ければ続けたという功績を手放したくなくて、大抵のことは続けられる。もちろん自分は学生の身分で時間を自分のために使えるという環境のおかげもあるが、イレギュラーの予定が入ったとしても続けることを考える。クオリティよりも続けることを選ぶ。何もやっていないより、ましであるから。

私の場合、続けることが目的化することを恐れて、ちゃんとしなくちゃと思いながら、結局手を出すのが億劫になり、何も続いていない。手を動かす前に意味を考えようとするからだ。

いや、なんだかよく聞く話ではある。ハードルを下げてでも日々やってみましょう。続けてみましょう。実用書などでたまに目にして、誰がこんなん買うんだと思ってしまっていたけれど、何故だろう。弟の言葉はその文字列よりも信憑性を帯びており、素直に尊敬できた。(一方でこの文字列はさも胡散臭いことだろう)

私にも家族の誰にも縁のないアニメ調の絵を日々描き続けて1周年を迎える弟はそれと同時に20歳の誕生日を迎える。

絵描くのが楽しいのか聞くと、全体の1割しか楽しくないという。なんだかよくわからず笑ってしまったが、なーんだ!と安心したのも事実である。それでも一年続ける決心をした弟は凄いし、私にとって励みになった。

そんな弟が絵を続けるのかは分からないが、我が家の秘密兵器として何かしらの活動を続けるだろう。部屋から食べ終わって放置されたヨーグルトの容器2つ(一昨日と昨日の分)が発掘されるような生活を送る秘密兵器だが、私はこれから何度も励まされることだろう。