対話

一卵性双生児であっても性格が異なるのは何故なのか、何が人間性をつくるのか、という話を聞いたことがあるだろうか。

人間性を形成する半分は遺伝子、もう半分は環境だとされている。外界とのやり取りを経ることで自己を形成している。

建築も生物であるような気がした。

今日、石井修さんの初期作品である、西向きの家を見学させていただいた。石井修さんの建築というと外部の自然と共生するような印象があったが、西向きの家は明らかに建築自体が力強さをもって、そこに佇んでいた。

内部からみえる西向きの景色には、当初はなかったであろう建物が映り込みながらも、その土地の高低差から、都市の変化を達観するような距離感をもっていた。それは、外部を無視せず対話はする。けれども依存はしない。といった、節度ある距離感だった。

思い返せば、他の作品も内部に環境をつくり出している。それは、建築のもつ力を担保するための手法のように思われた。

一方で、周囲に対する一種の諦めのようなものにも映る。

風景を取り込むことで外から中へのベクトルを享受し、溢れ出す緑や角の銀杏の木が内から外へのベクトルを担い、それが外界とのやり取りなのだろうか。

周辺環境を信じることが危うい中、閉じた中に環境をつくり出すことは賢明なのかも知れないと思う一方で、そのことがどこか淋しい感じがする。馴れ合うのも違うが、そうした都市の現状が只々もどかしい。

あと、この特異な形態をした生物を生かすには多額の資金が必要であり、残ることへの危うさを孕んでいる。町家が残り、複雑なものが残らない理由がよく分かる。

寒さに震えながらそんなことを話した。雨が降ったり止んだりと決まりきらない灰色の今日だった。