現代の茶室空間

瀬戸内国際芸術祭期間中に、豊島・直島に訪れた。

島々に点在するアートをみた。そして1日のうちにひとつずつ、からだの心底からぞくっとする作品に出会えた。

豊島美術館

地中美術館のモネの睡蓮

・家プロジェクトのジェームズ・タレル作品

 

それらはどれも、写真が撮れないような(撮る時間すら惜しいと思わせるような)ものだった。

まず作品の前に、カメラ・スマホ等は完全にしまうよう指示される。刀をお預け下さいと言われてるような感覚だ。

作品を前にしたとき、正面向かって対峙せざるを得ない状況になる。言わば丸腰状態。信じるものはその時その場にいる己れの感覚のみ。

それはどこか、茶室に身を置いているようだった。

 

映画、日々是好日で描かれていた、茶道を通して、茶室において日々を感じるという心。夏と冬でお湯の音が変わる。夏はさらさら、冬はとろっと。

小さくて簡素なつくりだからこそ、普段はおざなりになっている感覚の解像度をぐっと高める空間になる。

茶室に入る前に武士は刀を預け、茶室に入る際は誰しも身ひとつだったという。そうした中で得た感覚は今も昔も格別だったのではないだろうか。

今回、そうしたことが大切にされている作品がとても心地よく心に響いた。

豊島美術館で流れる水の流れる音、落ちる音、穴から吹き込む風や揺れる木々の音。

地中美術館では部屋のエッジが消され、無音の中で様々な色彩の睡蓮に囲まれるという幸せ。

ジェームズ・タレルでは身体的な制限がなされた中で視覚と時間を感じる。

 

これらは旅の中で本当に贅沢なひとときだった。感覚を研ぎ澄ます、静けさの中にある心地よさをみつけられた旅だった。