蚕を聞いたことがあるだろうか。

歴史で学ぶ、養蚕業の中で出てくる美しい白い繭をつくり出し、そこから生糸にして絹(シルク)をつくりだす昆虫である。

その蚕が、人間の遺伝子操作により、自然界には存在しない生き物であると知ったのはつい最近である。野生への回帰本能を持たず、人間の世話なしには生きていけない。そんな生き物がいるとは知らなかった。

蚕は幼虫の時にたくさんの桑の葉を食べ、何度も脱皮を繰り返し大きく成長する。その後繭の中でさなぎとなり、成虫となる。その成虫は大きな羽をもつが人間の遺伝子操作により、卵をたくさん産むために胴体が大きくなり、飛ぶことができない。また成虫になっても一切食べ物を口にすることはなく、交尾をするために動きまわり一週間もするとその天寿を全うする。

後腐れないというか、機能的で合理的であるが故にその制御されている姿が弱々しく思え、なんとも儚い生き物である。

人間の教育もこれと同じである。目的をもちそれに一直線に進む。タイパというらしいタイムパフォーマンス、効率を要求される社会。いつのまにかお腹の中に多量の卵が詰め込まれ、飛び立たなくなっていないだろうか。蚕のおかげで美しいシルクが拝めているのだ。一方で、人間たるものは感情を持つ。

繭を作りながらでも自分の背にある羽を忘れずに、飛び方に恥をかきながらでも良いから飛んで人の心をみたり感じたり思ったりすることを忘れたくない。