あなろぐとデジタル

澄んだ空気に木々が黄や赤に色めき出し、外国人観光客が順調に増えていら京都でわたしは日々パソコン画面と睨めっこをしている。

ポートフォリオ、研究データの整理に追われ、引きこもり状態にある。

 

そんな中珈琲サーバーが割れた。わたしは買い替えを言い訳に恵文社に向かった。すぐ帰るすぐ帰ると唱えながら向かい、見るだけ見るだけと唱えながら本をぱらぱらとめくる。本のにおいを嗅ぐ。目が活字を撫でる。心が和らぐ。

実物を触る、あなろぐに触れるとは五感を正常な状態に引き戻してくれる。もちろん、このあなろぐたちも多くはデジタルによって作られている。しかし、デジタルとあなろぐの間には大きな隔たりがあり、明らかに別物である。

あなろぐは統一されたものでないからこそ、それぞれの雰囲気を纏っている。

恵文社には、丁寧な所作で本を手に取り、静かにページをめくりたくなるような、そんな本たちがセレクトされている。背筋がしゃんとして、それでいて無理のない、心地よい時間が流れている。

 

どちらがいいとはないが、あなろぐに触れることで、デジタルの実感が湧く。デジタルから生まれたあなろぐがあるからこそ、デジタルも大切にしようと思えた。